横を向いたり、舌を用いたりして首の筋肉を動かすといった簡単にできる体操ばかり。
一日十回から始めるのをおすすめします。
私のしている首の体操は口の両側に手をあてながら、舌を出す。
そのまま舌を下方まで、できるかぎり伸ばし、首の緊張が最高になったところで舌を元に戻す。
頭を上げ、リンゴをかじるイメージで口を大きく開ける。
首の筋肉を緊張させながら五つ数えてから、元に戻してリラックスする。
歯は閉じたまま、軽く下唇を下に下げる。
口の両側に軽く手をあて、さらに下唇全体を限界まで下にひっぱった状態で五つ数える。
数年前のこと、ある化粧品メーカーのタイアップページで、フランスの有名なメイクアップ・アーティストであるチボー・ヴァーブル氏にメイクしていただいたことがありました。
そのとき、彼のメイク道具一式の入った箱にあったのが仏語で洗眼剤と呼ばれるブルーの液体の入った小さな容器でした。
それは何ですかと尋ねると、赤く充血した白目を美しくするための液体とのこと。
このようにフランス人は、白目の美しさを大切にすることから、六0年代の女優の何人かは、ロケの間、白目の充血を取り、輝きを与えるために、目にレモン汁やオレンジの汁を数滴垂らしたそうです。
充血した目は、確かに醜いものです。
寝不足だったり、花粉症だったりで目がしょぼついて赤くなったりしている目は、自分でも不快ですし、そんな目をしている人を見るのは、気持ちのよいことではありません。
よく「目は口ほどにモノを言う」あるいは、「目は心の窓」などと昔から言われていますが、特に大切なのは、目の表情や視線は、心の状態を露呈するということです。
もともと日本的な美学では、遠慮がちに日をそらしたり、伏し目がちにすることが、情感あってよいとされていますが、心の状態によっては、これがかえって不信感を抱かせたりする場合もあります。
TPOで視線の使い分けをしなくてはならないのも現代人の宿命と言えるでしょう。
また、日本では昔から「色目を使う」あるいは「上目使い」「流し目」といったような目の動きや表情によるセダクション(男性を惹きつける力)を表わす言葉が多く見られます。
まったく、自には語らなくても気持ちを伝える力があるのです。
古代エジプトやインドに端を発したアイラインも、「目力」を強めて男性を魅了するために用いられたようでした。
実際、クレオパトラやインドやアラブの女性の目を黒く縁取るのに、アンチモンの粉が用いられたことが『千夜一夜物語』や「旧約聖書』からもうかがえます。
この粉はコールと呼ばれ、目をいたわる成分が入っていましたが、もちろん今日ではそうした薬用成分は入っていません。
モロッコなどでは、小さなテラコッタの査に粉が入っていて、これを動物の牙で作った細い棒の先につけ、アイラインを描くようになっています。
ギリシャでは、古くから若い女性が魅力的になるための修業として目の体操をしていたということを、ある文献で知りました。
やはり、目の動きはデリケートな顔面筋の動きによって、心の状態を口以上に表わしているものなのです。
私もさまざまなものを試してきましたが、今はシャネルのル・クレイヨン・コールで十分満足しています。
スクリーンの思い出で、忘れられないのは「エヴァの匂い』のジャンヌ・モローの怪しげで強烈な女の熱い視線や、『金色の眼の女」のマリ1・ラフォレの神秘的な眼差しです。
この二人の女性の目に私は、ベールに包まれた生への執着心や、何ものにもとらわれない心の自由を見てしまいます。
そんな魅力的な目に少しでも近づこうと、眼球を左右に回すのと、両眉を上につり上げる体操をしています。
とのように眉をつり上げながら相手を見ることは、セダクションにも通ずるとも言われていますが、美しい視線を作るには、まぶたまず両目を同時に閉じてから、微笑みながら験をゆっくりと聞けていきます。
その際、誘うような眼差しでなく、いたずらっ子のように軽快にするほうがチャーミングだと思います。
もしも、相手の目を正視するのが苦手な人は、相手の第三の目と言われる眉と眉の間のあたりを見るといいでしょう。
パリでは見ず知らずの男と女が、視線だけで会話を交わしているのをまざまざと見せつけられます。
こうしたセダクションの交信は、恋とはまったく無関係のつかの間の戯れです。
これは、日本人には不似合いなことですが、カフェなどで目撃するたびにこちらまでドキドキさせられるのです。
また、髪のブラッシングと同様、まつ毛を毎日ブラッシングし続けると、一年もすると眼球の形も変化して、眼差しが変わっていくとか。
髪の毛一本一本が神経だと言っていた人がいましたが、おそらくまつ毛一本一本も同様であり、毎日ブラッシングすることで眼球のあたりも刺激されるということなのでしょう。
私もさっそく試してみようと思っています。
ところで、視線には好感度の高いものと低いものがあります。
低いもののなかには、例えば、横目使いでこっそり盗み見する視線、空間の一点をじっと見る視線(退屈や無関心や逃避)や、下方を見る視線(現実からの逃避でよく下方を見る人は、あまり誠実でないか、臆病と見なされる)などが挙げられます。
また、好感度の高いものとしては、うっとりと半分閉じられた目(特に恋しているときの)や自分の前を真っ直ぐ見る視線(オープンで、ブランクでダイレクトな人という印象)や、高いところを見る視線(理想主義で夢を持っている)が挙げられるでしょう。
思いがけず、ガラスに映った自分の顔が「うつろな目」をしていることがありますが、これは最も嫌いな表情です。
「うつろな日」は何もしたくないとダダをこねている目です。
そんなとき、私はすぐさま、指でまつ毛をつかんで引っ張ります。
めすから確かに、黒いアイラインを引いたり、体操をしたりすることで目力はアップしますが、その奥の瞳が輝いてさらに視線が美しくなくては、ただのお人形でしかないと思うのです。
だからこそ、精神状態を安定させる努力や、脱ストレスに向けて努力することが大切なのではないでしょうか。
目がうつろなときは、精神状態が不安定なときですから、よく睡眠をとり、プールに泳ぎに行ったり、歩いたりして、現状から脱皮する努力をしましょう。
いつまでも幼な子のような澄んだ目でいられるはずはないにしても、少なくとも、清廉さがあって輝いている眼差しこそが、成熟した大人の魅力なのではないでしょうか。
それには目尻のシワよりも、アイシャドウよりも、もっと大切なあなたの視線を常に、客観的に見ることが大切なのです。
以前、知り合いの写真家が、ある女流作家に会ったときの様子を話してくれたことがありました。
彼女が、まず足を引きずるようにして歩いていたということ。
そして、何よりも口が少し半開きだったことと、足首がくびれていないこと。
それらが重なって、だらしない印象を受けたという話でした。
男性は見ていないようでも、しっかり女性を観察しているものです。
そして思ったのです。
しまりのない印象の女性は、決して美しくないものなのだと。
実際、海外でも、脚が太いことよりも足首がしまっていないことのほうが問題視されています。
足首のみでなく、ウエストが寸胴ということも同様でしょう。
